専門家投稿:「教育は一律で成り立つのか?」ーー永遠の防人(トワノサキモリ)

昨年末から、相撲界での暴力行為が騒ぎ立てられているが、大きな怪我をさせた事や、それが酒の席であった事は、確実に一線を離脱していると思う。しかし、全て悪いことかと考えると、暴力は100%悪いとして、片付けるのはいかがなものでしょうか?

 常日頃から、この手のニュースが出る毎に、暴力反対のコメントだけが、ひとり歩きし、昔で言う所の「愛の鞭」「体罰」も、許せない暴力として報道される。このままで『日本の未来は大丈夫?』と、疑問符が浮かぶのは私だけでしょうか。

 私の持論として、人の命に関わる職責を担う者への教育は、この限りにあらずと思っている。何故かと問われれば、人命に関わる仕事「警察官」「消防官」「海上保安官」「自衛官」の教育が一般人と同じであれば、現場で、仲間の命を危険にさらす恐れがあると考えるからで、そこには、一蓮托生の連帯責任があって、故に国民の負託に応える危険職務への重責があると、信じているからである。また、最悪の場合は、守るべき対象の、国民の生命及び財産を失う羽目になるかもしれない。

 私が入隊した昭和49年頃には、艦内号令で【1分隊海士整列前甲板、2分隊海士整列旗甲板、3分隊海士整列操縦室前】と艦内マイクで放送があり、ほぼ毎日のように、どこかの分隊で整列があり、前日上陸後の当直員が起こした些細なミスや生活態度で、何のことか判らないまま、腕立伏せ・腹筋・3段ベッドの上段に足掛けしての逆立ち腕立伏せ(急降下爆撃)・甲板上に正座での説教・精神注入棒なる折れたカッターの櫂から作成された棒で臀バットなど、頬ビンタなどは日常茶飯事で、連帯責任の重さを叩き込まれたものである。艦内放送で号令が流れているので、士官も上級下士官も全て承知した上で、実施する現場の当事者は、殆どが各分隊の下士官に成ったばかりの初任3等海曹と先任海士長であり、今思えば、よく耐えてきたなと感慨深い面もある。この整列が無くなったのは、昭和50年に、真夏の上甲板で正座による説教により火傷をさせたことの報道を皮切りに、自衛艦内でリンチと騒がれ、翌51年にも体罰・暴力を前面に出しての報道があり、流石に、艦内放送で整列号令が流れることは無くなりましたが、実際に整列が無くなったのは、昭和57・8年頃だったように記憶しているが、昭和54年には、下士官に昇任したので、整列現場での実体験としては、昭和53年までである。そういう時期的な面で考えると、厳しい整列を受けた最後の体験者なのかもしれない。

 整列意外にも、職務に関しての教育訓練では、相当に厳しく、体罰的な事や叩かれることなど、度々であった。私は、戦闘情報中枢 (CIC) の職域で、仕事に従事した関係上、艦の航法補助や作戦上の管制で針路を指示するために、運動盤というベクトル三角形を作図して針路を導き出すものがあり、易しい事柄では相手の針路速力を出す事、難しい事柄であれば、魚雷攻撃を避けるための行程之字運動なるものや、同方位運動での索敵・会合という事柄もあった。それを、習得する時は特に厳しかったように記憶している。上陸員上陸用意の館内マイクと同時に問題3問を頂き、上陸札と交換。3分以内に1問解答し9分で全問正解を出さなければ、上陸札が無いので、《上陸止》消灯までの時間が長いこと長いこと、当直の下士官殿に三角定規で頭を叩かれ、罵声を浴びせられ、プロとして飯が食える第一歩を形成して頂いた。その時も、「おまえが間違えた事で、艦が運動をすると、艦と乗員が危険に陥る事になる。」旨の説明があり、『失敗する事が命に関わる仕事』の連帯責任と使命の自覚を、文字通り叩き込まれた。

 自衛官服務の本旨は、自衛隊法52条を基本とし、心構えを第一に教育される。1項:使命の自覚、2項:個人の充実、3項:責任の遂行、4項:規律の厳守、5項:団結の強化、の5項である。その上で、海という大自然が作り出す多種多様な状況に柔軟に対応するための動作・躾を、長年にわたり艦船の運用を軸として培われた経験と知恵を基にして『シーマンシップ』として教育されてきた。シーマンシップって、よく聞くけど内容は?解ってない人の方が多いと思いますが、1、先見性・2、機敏・3、端正、・4、質実剛健・5、不撓不屈・6、伝統精神の、6項目を【スマートで目先が利いて几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り】と端的に表現した標語のひとつである。「スマート」とは、事前の準備や計画には細心の注意と見越しをとり、実施に当たっては限られた空間と時間を上手に無駄なく活用し、円滑且つ大胆に仕事を処理することと、敏捷、機敏、頭の回転の速さ、良い身のこなし方、洗練、颯爽、無駄がない、明朗、ユーモア、形式にこだわらないなどの感覚をまとめて表現したものと言える。「目先が利く」とは、先見の明、人より先のことを考える、臨機応変で広視野、進歩的、気配りに優れる、大勢の把握、危険予知能力があるなどの表現であり、「几帳面」とは、整理整頓、責任観念が旺盛、時間厳守、確実、清潔、他人に迷惑を掛けないなどの表現である。そして、「負けじ魂」とは、苦しく困難な局面においても任務を投げ出すことなく、全力で最後まで努力する気持ちを表現している。このような、シーマンシップを実践することは、一朝一夕には身につかないため、毎日の生活で繰り返し経験し体に叩き込まれていく。その経験の中で、怪我をさせないで且つ仲間を危険に陥れず、一日も早くプロとして育てるためには、叩いてでも叱る教育は必要であると考える。

 私は、新兵当時の整列教育や叩かれ叱られた技量教育を経験があったから、「信念と情熱の男」として退官できたと、感謝の念しか見当たらない。もちろん、その時には、なんで殴られるの?理屈に合わない!と反発した時期もあったが、今思えば、それは、その当時の先輩が、叱ってくれたおかげで、決して怒られた事がなかったと感じているからである。【愛情で叱る】と【感情で怒る】の違いを現場で認識していれば、人命に関わる仕事での教育においては、『体罰・愛の鞭』は必要ではないでしょうか?

 

By:永遠の防人(トワノサキモリ)