専門家投稿:「PKO東チモール派遣海上輸送経験から」ーー永遠の防人(トワノサキモリ)

 平成14年3月、東チモールの独立と国造りに向けての国連を中心とした活動の中、現地において主役的な活動する陸上自衛隊の、道路整備、給水等インフラの整備に当たる施設部隊の車両等の一部を海上輸送し、これを支援した。この時の、PKO活動は、陸上自衛隊施設部隊は人員約750名、車両等約300両であり、我が国PKO史上最大規模のものであり、その中での状況と私の感じたことを記したいと考える。

 派遣海上輸送部隊は、輸送艦「おおすみ」及び護衛艦「みねゆき」で編成され、現地に派遣される陸上自衛官の約50名と車両約70両を「おおすみ」に搭載し、海上輸送した。ちなみに、この任務のコード名は、OPERATION ALLIGATOR EXPRESSでした。

 当時私は、幹部になり1年目であり、輸送艦の士官室に入っており、階級は3等海尉で船務士 (通信士の仕事も兼務) として従事した。行動の概要は、3月9日10:00母港の呉を出港し、12日08:15室蘭入港、12・13・14日の3日間で車両等搭載、14日輸送部隊の編成、15日09:00室蘭出港、3月26日東チモールのスアイ沖着、翌27日から車両揚陸作業開始、31日スアイ沖発、4月2日オーストラリア ダーウィンに入港し燃料・糧食補給、4日出港し、5日から東チモールの首都ディリ沖での揚陸作業開始、7日ディリ発、飛び地のオクシでの揚陸作業を8日から13日まで実施し、13日現地発で母港呉への帰路についた。

 任務状況は、あらゆる事を想定し、東チモールに向かう海上で、ヘリコプターによる周囲海面 (特に前方) 哨戒のための日出没時間帯の発着艦訓練、海上テロ対策の機銃射撃訓練、車両揚搭作業訓練、陸自車両の保守整備 (特に係止確認と塩分を洗い流す洗車) 等事前訓練と、補給艦からの最後の洋上補給、護衛艦「みねゆき」に実施する洋上補給 (主として「おおすみ」から「みねゆき」への真水補給)、任務記録のための空撮に伴うヘリコプター発着艦等の実作業、もちろん、防火、防水、応急操舵等艦船防御に関する基本部署訓練を実施する事も当然であり、そういうあらゆる想定を考慮した訓練で現地に向かうから、実際の任務が淡々と実施できるという自信にもなるのであるが、この想定を裏切る致命的なトラブルが発生した。28日天候晴れ風も弱く、LCAC(Landing Craft Air Cushion:ホバークラフト) での陸揚げ作業は、2艇で楽勝ではと考えていた矢先に起こった。LCAC#1最初の海岸へ難なく上陸、車両を陸揚げし、これに続きLCAC#2が「おおすみ」を発進し、海岸へ向かう、ところが、LCACの2基ある推進用プロペラの右側プロペラがダウンし、#2が航行するのがやっとで、任務(車両陸揚げ) に使用できない状況に至った。作戦初日で「Impossible of attainment」という重大局面を迎えることとなった。さしあたり、#2を艦内に収容し、#1のみでの作戦続行を指揮官が決定したが、#2は片肺運転で艇のバランスが取れず、直進航行もままならない状況であり、LCAC操縦員はもちろん、収容する母艦「おおすみ」も、共に悪戦苦闘して何とか#2を収容した。収容した#2の故障調査の結果は、乗員による修理は不可能であり、日本から専門技術者が派遣されることとなり、オーストラリア ダーウィン寄港時乗艦させる事となった。任務の陸揚げは、使用できない#2をLCAC格納デッキの艦首側に置き、その後部に#1を出入りさせ、車両は全て#2を経由して#1に搭載し、海岸へ陸揚げするという方法になった。当初の計画であるLCAC2隻による陸揚げを断念せざる状況での、時間超過と車両搭載時のLCACからLCACへの移載における不具合事項と時間ロスは、この作戦の任務可否を決定付ける問題であった。

 現地での車両陸揚げは、スアイ、ディリは#1のみで実施し、修理完了した#2を使用できたのは、最後のオクシでの場面だけとなった。これには、オーストラリア ダーウィンから乗艦した専門技術者の修理する時間帯が、昼間の#1による陸揚げ任務が終わってからの、夜間のみに限られた事に起因する。

 何はともあれ、当初の作戦どおり任務を完遂し、帰路に就くことが出来た。

【感じたこと】

 この時の指揮官は、私が定年後の今も『親父さん』と呼び、信頼する最高の指揮官であると同時に、いつまでも私の担ぐ「唯一の神輿」だと確信している先輩であり、この作戦の時も、現場での統制官として、無理な命令はもちろんのこと、愚痴や弱音一つ言わず、ただ一言、私に「失敗したら、恥ずかしゅうて、帰れんの!」でした。

 幸いな事に、統制官が初代「おおすみ」艦長で、「おおすみ」乗員の主立った下士官と、LCAC従事者は、『親父』と指揮官を呼ぶ者が多々いる状況でしたので、「親父に恥をかかせたらいけん」という気持ちが強く、乗員全ての士気が高く、どうしたらいいか?自分のすべきことは、自分に出来る事はなにか?を、行動で示した時間であったように感じる。

 対応の一場面としては、LCACからLCACへの移載については、時間短縮のために、現状の機材を創意工夫して、車両を運転する陸上自衛官と誘導方法を確認しながら渡り廊下を移動させる様にした事や、陸揚げ時間を少しでも長く確保するために、哨戒ヘリコプターの発着艦時間の短縮と哨戒パターンの調整、LCAC発進収容時間短縮のため最適の運動を考察実施する等、とにかく『意気込み』を感じる熱い現場になっていたと思う。指揮官は正しい命令を出し、部下は理性と誠実さで、淡々と遂行するという部隊として最高の現場であったと感じた。

 次に、天候に恵まれた作戦で『神は我に味方した』ことで、助けられた面が多いと思う。洋上が静かであること、特に車両陸揚げ作業の場合は、自然の力に逆らえない人間の立場から考えると最高に有難い、気象・海象での条件下で作戦が遂行できた。この恵まれた条件を引く力『運も実力』と感じられたのが船乗りとしての率直な感想です。

 後の話しですが、この時、海幕の上級部隊指揮官からは、現場は作戦と修理を並行して実施しているので、火の車状態であろうから、下手な質問や命令で口を挟まない「現場は現場に任せる」との回答であったと聞き、適時適切な進捗状況のみの報告で、現場を信頼してくれる上級部隊指揮官の、海軍時代から継承されてきた海軍魂的な一面も、今思えば任務完遂のひとつの要因だったと思う。

 今振り返り思い出しても、この任務は、携わった隊員が、指揮官の方針と最終目標を、それぞれの立場と持ち場において役割として認識し、自分のなすべき事を見据えて、全力発揮した結果であると確信できる。やはり組織が大きく飛躍するための宝は人であると思えた任務のひとつである。また、当時の乗員と出会えたこと並びに一緒に任務完遂できたことは、私の誇りであり、人生の宝である。
       
By:永遠の防人(トワノサキモリ)