専門家投稿:人の育て方について~統率法~

 人を育てる教育のあり方、人を動かす部下統率法について、旧海軍山本五十六海軍大将が遺された有名な言葉がある。 『 やって見せ、言って、聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かず。 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている姿を、感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。 』どこかで一度は耳にしたと思われるのは、1項の部分のみが、殆どの人だと思う。そして、どの組織においても、新人さんには、1項の言葉に近い対応で、教育をしているのが現状であると考える。ただし、それが短期であったり、ほめる事をしないまま、叱らないことで当たり前としている場合が多々見うけられるのでは?

 私が、経験した組織での事であり、多少は違和感があるかもしれませんが、何かの参考になればと思い今回のテーマとした。考え方として、親が子を育てる事も、使える部下を育てる事も原則的には同じと思う。手取り足取り教え、その都度、判断力を養うよう経験させ、良ければほめて、悪ければ叱る、決して、怒ってはいけない。分かっていても出来ない事の方が多い。それの原因が何処にあるかと言うと、自己保身・自己利益・諦め切り捨て等、また周りの環境に流される事も多くある様に思う。

 私が、本当に教育出来たなと感じているのは、37歳以降の員長になってからだと思う。そう思うのは現場における仕切が、全て任されて、次席を呼び「部下を叱るルール」を指示した事が一番にある。部下を叱る場合に、『升の中に閉じ込めて、逃げ道のない叱り方はしない』私が叱る時は、次席が、頃合いを見て助け船を出し、次席が叱る時は、私が、頃合いを見てストップをかける。原則としては、叱られる者の下位者が居る場所では叱らないという事もありましたが、時間との戦いでもある現場では、これについては厳守された感はありません。

 次に、叱った後の対応です。私は、よその港では、叱った部下を連れて、夜の街に飲みに出ていました。もちろん1人ではなく、数名の中の1人として連れて行き、叱った事柄に関しては、一切を口にすることなく、羽目を外して遊ぶ。そうこうしていると、できの良い者より、よく叱られる、ちょい悪な者とばかり遊びに行くことが多くなり、諦め切り捨てる事は考えられない状況となり、自然と部下の良い所はどこかを探すようになった。物事の見方の違いで、100%の人間が居ないように0%の人間も居ない、人事から与えられたメンバーで、何かの縁で一緒になった仲間と、最善を尽くせるようチームを組み立てるのが、私の職務でもあると気づかされた時代であった。

 よくよく考えれば、家庭でも同じではないかと感じる。家内が口うるさく子供を叱っている時は、頃合いを見て、夫婦喧嘩覚悟で、助け船を出し、私が叱る時に、家内が同調して、一緒になって叱ることは、絶対にさせなかった。逃げ道のない叱り方は、叱られる方からすると、悪いと認識しても、爆発して、逆ギレするしか、その場を通過できない感情があるのでは、と考える。我が家では、3人の子供達は、一度も道を誤ることも、大きな反抗期もなく、それぞれの道で頑張ってくれているし、家庭人となり、大事なく過ごしている。

 「育てる」で必要な要素は、相手の本音を知る事だと思う。その場その場で色々と焦点が異なる事は、経験値・配置・階級からも、考え方・方策・対応・優先順位等異なって当たり前である。その中で、どうやってボタンの掛け違えを少なくするかが難しい所である。部下の本音を理解する上で必要なことは、観察日記をつけるが如しで、仕事現場を直視することが第一であり、自己のデスクでの仕事は後に回してでも、現場を散策する事が重要だと思う。それで、自己の仕事に穴が空くようでは、その階級の資質がないと自分を責めるべきである。また、私は遊びの中で、部下の本音を聞く機会を得ていた。夜の巷で酒を飲み、云いたいことを言わせる。階級無しの無礼講で聞き出すのであるが、そのためには、酒に飲まれる事なく、遊び人を演技する事が必要であったので、今も酒の席で、酩酊・泥酔で記憶がないという様なことはない。本音が分かれば、同じ路線に部下を誘導する事も、その方策も立てやすい。親がいかに子供と接する時間を長く作り、躾をしつつ、その時々での子供を理解しようとする愛情の子育てに似ていると思う。

 部下を承認する事は、部下の目線で理解してやるということではないだろうか。部下を理解してやれば、同じ路線で活動する部下に感謝も出来るし、任せられる限度も設定でき、ひとつの目標を終結したとき、同じ価値観で達成感、又は反省を、共有出来るのではないだろうか。集団の核となるべき者の考え方として、育て方からの統率法のひとつとして参考になれば幸いです。

 組織が大きければ大きいほど、諦めて切り捨てをすると、組織の教育 (統率) は成り立たない。また、ひとつのチームの長も、上の指揮官の命令で動く服従者であることを認識し、ピラミッドの底辺が崩れると、組織そのものが崩壊する危機感を感ずべきと考える。

By:永遠の防人(トワノサキモリ)