専門家投稿:今の子供を教育して~仲間意識が薄いのは何故~

 私は、海上自衛隊定年退職後に、先輩の推薦と紹介で、国立の青少年教育施設においてカッター研修の指導員を非常勤でしている。研修生は、小学校5年生から始まり、中学生・高校生・大学生・新入社員研修・初任者研修等、様々な年齢層がカッターを通じて、規律、達成感、協力・協調、チームワーク等を目的に体験型研修として実施する。

 カッターは、9mで1.5ton、12座漕であるが、小学生は二人で1本の櫂を操作し、その他の団体は18名ぐらいが1艇に乗艇するので半分6本が2人漕ぎ状態になる。もちろん船乗りを教育する訳ではないので、技量を主にした教育ではなく、乗り組んだ時点では2ton にもなる艇を、海水を吸い1本約10kg の櫂を操作して、力を合わせ、同期を取らないと、きついだけで進まないカッターを通して、全力・協力を目的に、達成感を感じさせる教育である。

 カッターを漕ぎ、途中2・3度休憩を取る訳であるが、その時必ず聞くことがある (これは、研修員が大人でも中学生でも一律に)。それは、「協力と団結の違い」であるのだが、辞書では、協力:力を合わせること、団結:心を合わせて、人々が行動を共にすること、とありますが、研修員からの答えは、違いが解らない、又は、同じ目的のために力を合わせることの2通りの答えが大半で、どちらも力を合わせることが言葉の意味との答えである。そこで、どう違うのか、私なりに経験からの答えとして、協力も団結もひとつの目的のために力を合わせることは、一緒であるが、団結にはその後があって、事が終結した時に、その事に関わった全ての人が、同じ価値観で喜びを分かち合えるか、又は、同じ目線で反省したり、疑問点を持てるかによって協力でしたことか、団結できたかの違いがある、と伝えている。そして、全力とは、自分に与えられた責務を果たすことをいい、自分の受け持ちに責任をもって処理していないことは、全力ではないと付け加える。いい加減な状態でやった者は、仲間として笑顔や涙の輪の中に入ることが出来ない、それは、同じ価値観で達成感を感じられないからであり、仲間になれなかったことの証明である。10年先20年先の同窓会や同期会でカッター研修の話しが出たときに、仲間として同じ笑顔の輪に入れない自分にならないようにと、話しの中に入れながら、研修を進めている。

 体力的に優れた者が、やや体力的に劣った者を、助ける動作をするかというと、近年、とんとお目に掛からない、自分のことさえしていれば、他人のことは、同じ船に乗艇した仲間のことも知らん顔という状況が多々見うけられる。何とも寂しい限りであるが、団結と協力の話を休憩時間にした後は、どの団体も、動作・かけ声・目の色さえ変わってくる。これについては、引率してくる教員、上司等も認めていることであり、それを考えると、身長や体重が増加するような、形態が変化する質的な成長は優れていても、経験や環境により、学習する成熟が劣っている発達の若者が多いということかと思う。

 人の命に関わる職務を経験して定年を迎えた者としては、仲間を裏切らないこと、仲間を信頼すること、それを原点に、組織が形成される強さと、仲間のありがたさを知っている。仲間とは、いかに大切な『人生の宝』であるか、また、どの様にして仲間と成れるのか、微力ながら、現在のカッター研修指導員として研修を通じて、成熟の為の環境学習に情熱を注ぎたい。

 今の組織の有り様として、人命に関わる職責にあるにも拘わらず、我が子の取り扱いが不当だとか、仲間はずれにされているとか、ましてや、いじめに遭っているとか、変な事象が耳に入るのも、成熟されていない発達途中の若者が多くいる為に起きている事ではと、老婆心ながら心配しつつ終わる。

By:永遠の防人(トワノサキモリ)