専門家投稿:「幹部時代~よもやま話~」

 陸・海・空とある自衛隊の中で、海上自衛隊の一兵卒から入隊する所の、いわゆるノンキャリア組は、幹部に成ろうとする者が極めて少ないのが現状である。陸・空では、できるなら幹部を目指すという者が多いのに、海はどうにかして幹部への試験を避けようとし、筆記試験を合格しても二次試験の面接、又は、指揮官からの断り状を得ようと努力する。実際に私も、できる限り幹部への道を避けるルートを選考し、余りに早く1曹に昇任したので、1曹の階級に長く止まる事も画策し、曹長に成らないために、賞詞を断ったりしたが、当時の指揮官 (司令) に、部隊の年度優秀隊員に推薦され、4級賞詞を受賞したことで、昇任試験のない階級のため、曹長となり、2年後には幹部予定者の受験を嫌々受け、部隊で7名合格した中で、私だけが指揮官の推薦有りで、伝統の総本山である幹部候補生学校 (昔の江田島海軍兵学校) へ入校した訳である。

 幹部昇任意欲が低い状況を考えると、仕事量が多いこと、責任が重いこと、時間的余裕が無いこと等全てを含めてが、待遇と相殺できないのがひとつの原因であるし、また、壱から新兵に成る位の、幹部の中での最下位からの生活を余儀なくされる事へのプライドが邪魔するのだと思う。

 私が幹部に成り一番困ったのが、年間を通してある、部下の評価的仕事であり、年末の勤務評定・昇任に関する昇任調書・給料、ボーナスに関する昇給査定・昇任、勤務、昇給全てに関係する賞詞関係推薦調書等、ほぼ2ヶ月に一回は書類作成に追われていた。それも、部下に見られない環境で作成するのが一苦労であった。第二が、例規等の見直しであり、環境に適応し施行しやすく、且つ、法的に現状の状態に適しているか等、不具合点の変更をすることであるが、規則文章の変更は大変なものがあり、何度も突き返され、自分の文才の無さを恨んだ苦い経験がある。その他は、仕事に関して苦境に立たされたと感じた事はないが、鈍感でふてぶてしく、自分がスルーしてきただけかもしれないが、全ての階級を経験してきた幹部として、経験と知恵で、海曹士と幹部のパイプ役も務め、是々非々で口を開き、上司とも部下ともぶつかり、中継点として、怖いもの知らずの所もあった様に感じる。艦長、副長もよく私室に来て、入港後の休日は何日許可するか相談されたり、先任海曹室は、停泊中の要望を私の所へ伝えに来たり、艦内生活の厚生面の調整は多々やっていた。そんな幹部生活で、私のこだわった事は、『部下に仕事を言いつけて、自分が休むことがないように』である。これは、電測員長時代に、隊司令の、総監報告用書類を、隊付が準備しておらず、行動図等オペレーション関係の書類を用意する事となり、戦闘情報を取り扱う、電測員長として引き受け、徹夜作業となり、朝方5時に隊司令室に出来上がった書類を持参したら、隊司令が起きて待っておられ、一言「部下に無理に仕事を頼んで、寝られるほど図太く無いから、ありがとう」その時から、私は部下が仕事をしている間に、自分が休むことはしないと決めた。これは、幹部として乗艦した艦で、私は2分隊士であり、1分隊の海曹士が翌日の作業準備で、上陸許可後も上甲板で作業していたが、そこに1分隊士の姿が無いことに気づき、確認すると「上陸しましたよ」の返事、あきれて1分隊の曹長を呼び再度確認すると、「明日の作業を考慮して、準備する旨伝えたら、後はよろしくと言って上陸しました」とのこと、違う分隊ではあるが、腹が立って仕方なかった記憶がある。そして、その日は、作業準備が終わるまで立ち会い、作業終了後に、御苦労様の感謝を伝えるため、約80名に缶コーヒーをポケットマネーで振る舞い、上陸員送りの便も、当直士官と交渉し数便多く設定した。その当時の海曹士は、今も私を、親父とか兄貴と呼んでくれて、分隊が違うのに、慕ってくれている。もちろんその時の1分隊の2尉と3尉は、翌朝呼びつけて、きついお灸を据えたことは当然である。これも、私が、予定者幹部で、2尉と3尉が私より若く、兵隊歴は10年以上下であったからできた指導である。

 神輿を担ぐ方も、担がれる方も経験し、担がれながらも、神輿を担ぐ立場は板挟みの苦しい立場かもしれないが、自分の信念を貫き通す気概を持てば、一念岩をも通すで、部下とも上司とも絆ができるものと考える。

By:永遠の防人(トワノサキモリ)